**木漏れび Hutte**

ゆるりと過ごす日常は、小さな旅の積み重ね ~迷える人の憩い場、避難小屋、そして道標~

死性観について語ろう。~これからどう生きていくべきか悩んだときに、考えるべきこと~

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日常生活を送っていて

死ぬというとこ、生きるというとこを

どれだけ意識する機会があるのでしょうか。

 

死ぬということ、生きるということについての考えを、死生観と言います。

 

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人生、有限であると意識し始めたきっかけ

私が死ぬということ
その命が有限であることを意識し始めたのは、
小児がん病棟で看護師として働き、
こどもの死に直面してきたからです。
 
人生100年時代と言われるようになり
もし今後100歳まで生きるとして
27歳の私には残り73年。
 
長いなぁと思いますが
そのうち、なに不自由なく
過ごすことができるのは
あと何年でしょうか。
 
本当にいつ何が起こるかわからない。
それは明日かもしれないし
何十年後かもわからない。
 
その命がこの瞬間、突然終わるかもしれない。
 
関わってきた子供たちは
本当にかわいくて、愛しい!!
 
病棟で、私より短い生涯を終えようとしてく命を目前にして
 
何故彼らがこんなに早く
生涯を終えなければならないのかと悔やみました。
 
今後自分はどう生きていくべきなのか
 
彼らにしてあげられることは何なのか
 
もやもやと考えるようになりました。
 

生と死について語り合う

そんな中、緩和ケア病棟で働く看護師の

松山寛子さん(@hirokomushikanw)に出会いました。

 

松山さんは大阪で

『生と死について語り合う交流会』を主催されおり

参加のお誘いをくださいました。

 

「これからどう生きていくべきなのか語り合いたい。

子どもたちにできることは何か、ヒントを得たい。」

と思い、この会に参加してみることにしました。

 

余命1ヶ月で、自分が大切にしたいものとは

この交流会には医療者だけでなく

様々な職種の方が参加されていました。

 

仕事の関係で、

または身内の影響で、など理由は様々ですが

死と何らかの形で向き合ってきて

ちょっともやもやした気持ちを抱えた方たち。

 

今回の語らいのテーマは

「余命1ヶ月だとして、自分が大切にしたいことは何か」

というものです。

(※毎回内容や語り合う方法は違うようです。)

 

このテーマで

私が大切にしたいのは

  • 私の価値観や優先順位を知る意思決定支援者がいる
  • 人との暖かい繋がりがある
  • 良い人生だったと思える

ということでした。

 

いきなりこんなこと、思いつきませんよね(笑)

私も、自分の死性観について語れ!と

いきなり言われても、自分の考えを

言葉にすることに難しさを感じていました。

 

それを誘導してくれたのが『もしバナゲーム』というカードゲームです。

 

死ぬことに関して自分が大切にしたいと思うカードを

ゲームをする中で3枚選び抜く、というものです。

 

死に方の理由には、その人が生きてきた背景が映る

このカードゲームをしていて面白いのは

同じ内容のカードを選んでいても

そのカードの組み合わせによって

人それぞれの選んだ理由が違うということ。

 

カードの内容は様々ですが、その一部を抜粋。

 

例えば、 

 

『家族と一緒に過ごしたい』

というカードを選んだ方。

 

その理由が

「余命1ヶ月ではどこかに行ける体でもないから、家族と病室で過ごしたい」

という方もいれば

 

「今まで仕事ばかりで家族との時間が取れなかったから、最期くらいは家族と過ごしたい」

という方も。

 

また、『家族に負担をかけないようにしたい』

というカードを選んだ方。

 

「介護施設で、死期が迫っている利用者様のことについて

家族が何度も呼び出されているのを見ていた。

自分自身はそういう負担はかけたくないと思ったから」

という意見もあれば

 

「最期の息を引き取るタイミングで

家族が側にいなくてもいいと思っているから」

という意見もありました。

 

私の選んだカードの理由は以下です。

***

  • 私の価値観や優先順位を知る意思決定支援者がいる

→ここで言う支援者は、医師や看護師、自分の夫、自分の子供、両親など、

その時傍にいる身近な人のこと。

その人達の力がなければ満足な最期は迎えられないだろうと思うから。

だからこそ、両親とは意思の共有をする必要がある。

また夫となる人とは、日頃から様々な自分の意思を共有できて

お互いを尊重できる人が良いと思う。

 

  • 人との暖かい繋がりがある

→人生を明るく照らすものだと思うから。

 

  • 良い人生だったと思える

→最期は痛みがなく穏やかに死にたいから。

良い人生だったと振り替えれるということは、

振り替えっているときに痛みもなく

死ぬことを自分も周りも受け入れており、

死に前向きに向き合えているときだと思うから。

そういう最期を迎えたい。

やり残しのない人生を歩みたい。

***

 

今まで、ここまで具体的に

死ぬときに大切にしたいことを

考えたことはありませんでした。

 

けれど、選んだ理由として死への思いを語ることで、

語りながら自分の思いを整理していく

という感覚が掴めました。

 

このように

死ぬときのことを考えていくと

これからどう生きていきたいのか

生き方について考えるきっかけになります。

 

ゴール設定をすると、

生きていく方向性や大切にすべきものが

明確になっていく気がしました。

 

死ぬことに対する価値観は本当に多様で、

それまでの生き方が現れてくるなぁと

実感させられます。

 

興味がある方は

ぜひこのもしバナゲーム

やってみてください(⌒‐⌒)

 

幸せに死ぬってどういうこと?

松山さんは、世の中の人が

幸せな最期を迎えられるように、と

活動されています。

 

どうしたらよいでしょうか?

 

死ぬときに大切にしたいものの価値観が多様であったように

「幸せに死ぬ」という価値観も、人それぞれなのでしょう。

 

私が今回の会で教わったことで

「目の前の出来事を

肯定的にとらえること、感謝できること」

という価値観を大切にしていきたいと思います。

  

でも、死ぬからいきなり感謝、っていうのもなんか違う…。

生きている延長線上に死ぬということがあるのだから。

 

 

生きているときに、いかに自分のことを

肯定的にとらえられているか。

 

 

 

やはり、死に様は生き様を映す鏡であると思います。

 

 

そして忘れてはならないことは、

死に向かっていくと

周りの手伝いなくしては

生きていくことは難しいということ。

 

それを悲しむのか、悲しまないのか…。

 

交流会に興味のある方、参加されたい方は

ぜひ問い合わせてみてください(^^)*

→ Email:palliativecaremind@gmail.com

これからを生きていく

死性観とは、年代や今後生きていくなかで

変化していくでしょう。

それは自然なことであると思います。

 

27歳の今思うことは、

  • 自分が健康であること
  • 満足いく生活ができていること
  • 自分の心に素直に生きていけること
  • 身近な人達を思いやれること
  • 多くの人の価値観に触れること
  • やりたいことはチャレンジすること

以上のことを心に刻み

良い人生だと思えるように

これからを生きていくっ!

 

生き方に悩む方は

死ぬということを考えてみると

何かヒントが見つかるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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