**木漏れび Hutte**

ゆるりと過ごす日常は、小さな旅の積み重ね ~迷える人の憩い場、避難小屋、そして道標~

子どもから信頼されるには?過去の経験や子どもとの関わりから導き出した答え。

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子どもから信頼されたい、と考えるより

 

 そもそも子どもを信頼しているのか?

 

ということを

考えるべきではないかと思うのです。

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「子どもを信頼していない」という考えに対する違和感

私がツアーナース(修学旅行とかに添乗する看護師のこと)をしていたときのこと。

 

ある中学校の教頭先生と雑談をしていました。

 

教頭先生は

「私は子ども達を信頼はしていません。

先生たちが子どもたちを野放しにしすぎている。

もっと強制しないといけないと思う。」

とおっしゃっていました。

 

 考え方が未熟で瞬時に適した判断をすることが、まだ難しい年齢。

 

このような大勢の子ども達をまとめるのは

大変なことだということはよくわかります。

 

この話をされる先生の姿には重みがあり、

先生の長年の哲学ゆえに

導いた答えなのだとは思います。

 

しかし私は、その言葉や

中学教師が「お前ら!」と声を張り上げて説教している姿に

違和感さえ覚えてしまいました。 

 

教師の友達にこのことを話すと

「中学の先生はそういう感じだね。」と

違和感はない様子。

 

端から見て威圧的だと感じる姿勢は

こどもの成長にどのように影響するのか

不安な気持ちを抱きました。

 

そもそも「子どもを信頼する」ということを

前提としない考えに

もやもやとした感情が生まれたのです。

心配が故に、子どものことを信頼できない気持ち

我が子が可愛くて

とてもじゃないけど

「可愛い子には旅をさせよ」

なんてことはできない。

 

 

子どもが今何しているのか把握したい。

 

このような考えの親御さんは

少なくないのでは、と思います。

 

私も心配性の両親の元で育ちました。 

 

初めに断っておきますが

私は両親のことが嫌いなわけではありません。

両親がいたからこそ、

この家族の中で育ったからこそ

今の私がいるわけで

その存在を否定するつもりは全くありません。

 

しかし、それ故に苦しいときもあったわけで

そこに向き合うのが私のすべきことだと思っています。

 

話を戻しますが、

私の両親も心配性で

口癖は「心配するのが親の仕事」。

 

愛情を感じる反面、

正直、窮屈な思いもして

反発心が拭えませんでした。

 

私が兄弟の真ん中っ子ということもあり

あれやこれやと言われることが

気に食わなかったということもあると思いますが。

 

「私は信頼されていないんだ」という思いを

募らせていく日々でした。

 

そうなると

子供の心はどう育っていくのか。

 

それは

・わかってもらえないことへの虚無感

・私の気持ちは理解されないから、別に気持ちを伝えなくてもいいやという諦めの気持ち

この2つの心が育っていくのです。

 

両親には「親になったらわかる」と言われましたが

親になっていない今だからこそ

心にとめておきたい気持ちがあります。

 

それは 

どんなに心配な気持ちを言葉にされるより

背中で語れる親になりたい。

心配しているが心から信頼しているという気持ちを。

 

そして子どもの気持ちを尊重し

いつでも帰ってこれる居場所でありたい。

 

子どもの行動1つで、親の責任問題が問われる世の中ですが

子どもを信じる心を忘れなければ

心が離れることは

ないのではないかと思うのです。

 

放任ではなく、"見守る"という愛情も

大切なのではないでしょうか。

子どもに「説明」と「同意を得る」という考え方

私は、子どもに関わる看護師として働いています。

 

注射や点滴などの医療行為を行う前に

必ず子どもに「説明をする」ということを

欠かしたことはありません。

 

例えどんなに小さくても

1歳に満たない子どもでも

「今から○○するよ」と

声は必ずかけるようにしています。

 

どんなに幼くても

大人の話はよく理解しています。

自分の意志を尊重してもらえた、そうではなかったということは

記憶の片隅に残ります。

 

なので

例えば薬を飲まなければならない理由や

どうやったらその薬を飲むことができるか

子ども達と相談しながら

できる方法を一緒に決定していました。

 

これはプレパレーションと呼ばれるもので

「心理的準備」と訳されます。

 

子どもの痛みや恐怖心、不安感を緩和するために

行うものです。

 

「説明」して「同意を得る」ということは

子ども達の自尊心を高めることにも繋がります。

 

また、プレパレーションを行う人と信頼関係を結ぶことができるのです。

 

子どもと大人、お互いに尊重し合える仲でありたい。

プレパレーションを行っていて感じたのは

子ども達はどんなに幼い子どもでも

大人の話をよく理解し、

納得して処置にも協力的になれるということです。

 

泣いてしまうことはもちろんありますが

きちんとできたことをフィードバックすることで

成功体験に結び付けることができます。

 

そうすると

自分の意志を持って

処置に取り組むことができるようになるのです。

 

このことから考えると

子どもに一方的にあれをしろ、これをしろと

押し付けるような接し方や

 

○○はしてはいけない、と

心配であるがゆえに生じてしまう感情で

子どもの可能性を摘み取ってしまう行為は

 

子どもとの信頼関係を構築することを阻む行為ではないでしょうか。

 

私は実体験から、子どもの心は信頼できる大人でありたいと思うようになりました。

 

威圧的な指導や

子どもを愛していて心配するがゆえの行為は

果たして誰が基準となった考えなのかと思うのです。

 

自分の思うようにコントロールしたい?

 

その心の先に

どのようなこどもの将来が描かれているのか。

 

自分の言うことを聞いてほしい?

 

ならば、子どもが満足いくまで子どもの話を

聞いてあげられているのか。

 

軍隊のような集団行動をして
圧をかけるようなことが教育ではなく、

子どもを目指す方向に導いてあげることが
教育ではないかと思います。

 

子どもと信頼関係が結べないと思うのは

子どものことを信頼する前に

自分自身の感情が

前へ前へと出てしまっていいるからでは?と思う日々です。

 

子どもが大切な人と確実な愛着関係を結ぶことができていれば不安な気持ちにはなりにくいと言われています。

 

そして学校を始めとした社会に出れば

必ず何か葛藤は生まれてきます。

 

それでよいのです。

 

エリクソンという自我発達理論を提唱した心理学者がいました。

 

彼は「人には発達課題があり、出生から老いるまで

生涯にわたり発達する存在である」

ということを前提に、

人の発達は、あらかじめ予定された発達段階に沿って進み、

各機能の発達には臨界期が存在すると説きました(生物学的漸成説)。

 

(エリクソン、自我発達理論より)

 

各段階の発達課題は、

ポジティブな側面とネガティブな側面が対立によって示されています。

 

この2つの対立から生じる葛藤を心理社会的危機と呼び、

この葛藤から現れるものが心理・社会的な強さなのです。※1

 

つまり、人間は困難にぶち当たり

葛藤しながら成長していく生き物なのです。

子どもの安否を心配していても

困難にはぶち当たるようにできている。

だから、子どもの成長を信じて

思うままに生きていけるように導くことが

子どものためだと思います。

 

子どもの可能性は無限であり

「そう来たか!」という角度から

私たちを驚かせ

笑わせてくれます。

 

信頼関係を築くには

大人と子どもという年齢の違いでも

お互いのことを思いやることから

始まるのではないでしょうか。

 

子ども気持ちを

尊重できる大人でありたい。

 

 

 

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※1)参考文献:

小児看護学概論―子どもと家族に寄り添う援助 (看護学テキストNiCE)

 

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