**木漏れび Hutte**

ゆるりと過ごす日常は、小さな旅の積み重ね ~迷える人の憩い場、避難小屋、そして道標~

”少し前の私”に似た彼と出会って考えたこと

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目の前の相手は、自分の鏡だ。

 

よく耳にする言葉である。

 

数か月前に出会った彼は、本当に私の鏡のようだった。

 

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その彼は、おそらくお互いに好意を持っていた。

連絡を取り合い、

何度か食事を共にした。

 

彼は優しいのだけれど、どこか他人任せな感じがする人だった。

こだわりがないのか、食事の場所さえ決めるのがめんどくさいのか。

会おう、と連絡してきた割に、次に会う約束の取り決めは、私任せなところがある。

 

「彼は何がしたいのだろう…」

という思いが募り

結局私からアクションを起こすことを止めてしまった。

 

そんな彼を思いながら、心の隅のほうで、他人事ではないなぁ…と思うのであった。

 

 

私とそっくりな彼


アクションを止めてから数日経ってから、彼から食事のお誘いが来た。
気持ちも冷めてきていたころで、正直乗り気ではなかった。
しかし私も、いつまでもあいまいな関係ではいたくないと思い、会う日にちを決めた。それでも、そっけないオーラ全開だったと思う。

前日になり、体調がすぐれないとのことで、キャンセルの連絡がきた。
ちなみに約束の連絡が来たのは前々日のこと。

 

この数日間で何があったのか?と思った。


私の負のオーラを悟ったか。(笑)
空気を読んだというべきか。

 

結局彼とはそれ以来連絡を取らなくなった。

 

”大事な時期に、関係を築くことがめんどくさくなって、相手の前から消えていく。”


このような身の引き方は、私にそっくりで、唖然とした。

そして、今まで私が相手にしてきたことを初めて「それをされる側」として体験したのであった。

"めんどくさい"と思った、その理由に目を向ける

気になる異性と出会った瞬間が、私は好きだ。

これから何が始まるのだろう、と

密に期待に胸を膨らましている。

 

けれど、私の欠点は、その相手との関わりが深くなっていくほど

相手と一緒にいるのがめんどくさいと思ってしまいうこと。

この”めんどくさい”を乗り越えないと、その先の関係がないことがわかっていたとしても。

 

それを、”この間の彼”が実演してくれたのだった。

 

その彼は、いつも私からのアクションを待っていた。

私も本当は待ちたかった。

傷つきたくなかった。

 

女の子の会話でよくあるのだが、「この間○○されてさ…」と、気になる異性のことをありがた迷惑のように話すこと。あれの対象に、私がなりたくないなぁと、少なからず思っていた。

誰もが"愛され女子"でいたいのかなぁと、思ったりもするけれど。

 

相手のことを「めんどくさい」と思ったその理由はなんなのだろう?

 

自分の理想の関係になれなかったから。

好きという気持ちより、自分の生活が大事だと思ってしまったから。

相手の家族関係に、目がいってしまったから。

 

思い付いた理由の根本をたどってみると

 

相手のことは変えることができないのに

「相手に変わってほしい」と思う気持ちが強くなってしまったのかもしれないなぁと思う。

そして、私が相手の人といて、「得するのか、損するのか」

そんなことばかり考えていたのではないかなぁ。

 

男女間では顕著に表れるかもしれないことだけれど

これは男女だけでなく

全ての人間関係において当てはまること、なんだろうな。

 

 

目の前の人に、自分の課題がある

私はかつて、自分の出身地や職業など、「異性から、肩書だけで私のことを見ないでほしいと思っている」と
友達に愚痴をこぼしたことがある。

けれど、肩書などの条件で人を見ていたのは私だった。
結局、損得感情というところが根本原因だった。

 

彼から学ぶことは

私が、いかに人に踏み込まないように接していたかということや、損得で人と繋がろうとしていたということ。

そして、無意識に相手を変えようとしていたことである。

 

あたりさわりない人柄は、役に立つ。

しかし、そこからさらに関係を深めようとすると

その踏み出す一歩が難しかったりする。

 

どうやって人と仲良くなるんだっけ…?

という、振り出しに戻ってしまう。

 

出会いがあっても(これは男女関係に限らず)

何か話が進みすぎたり、こじれたりすると

うーん、まぁ私には関係ないし。と

表面上だけ触って、距離をおいてしまっていた。

相手の気持ちをわかったような気になっていた。

 

考えること自体がめんどくさくなる事例であると

結果、関わることを止めてしまう。あきらめてしまう。

自分が元居た、心地良い空間に引き戻されてしまう。

 

相手に変わってもらおう、ではなく

自分の視点を変えてみる。

相手の持つ条件で繋がるのではなく

目の前の相手に、私が何ができるのかを考えてみる。

本当に相手を思うなら、尽くすのではなく寄り添ってみる。

 

他人軸から自分軸へ。

わかっているつもりでも、まだまだわかっていないことは多くあって

まだまだ変わる途中だったんだなと気づかされた。

 

 

誰かの常識が、私の非常識

恋愛には多くのHow to本が出版されている。

私もその手の本は好きで、お気に入りの作家もいる。

 

しかし、それの表面だけなぞっても、相手の心に近づけるわけではないと気づいたのは、恥ずかしいことに最近のことだ。

 

私は以前、相手の男性に、一般的な女子が喜ぶだろうということをどや顔でされて

???

となったことがある。

 

そして私を見て相手は

「え??」っという顔をしていたことが忘れられない。

 

How to本に書かれていることを、実践して「完璧にできた」と思っていたのかもしれない。 私も「男性だったら、万人が喜ぶだろう」と思って実践したことがあるし

ネットや本で、それについて検索したことだってある。

 

しかし本当は、男女という一つのカテゴリーで全てが解決するはずはなく、「私」という一人の人間として、向き合うべきだった。

 

あくまでも"傾向"の話で、最善の"対策"ではないのだと。

目の前の相手に向き合うって、そういうことなんだろう。

この「目の前の人に向き合う」という感覚は

まだ、雲を掴みかけたというくらい柔いものであるが、私の課題はそこにあると思う。

 

昨日の最善は今日の最善ではない。今日も一人ひとりと向き合っていく。

昨日成功したことが、今日も成功するとは限らない。

その場の空気感や、相手のコンディションなど

様々なことを感じ取って

その場に還元して

初めて相手と心が通い合うことができる。

 

きっと無意識にみんながやっていることだが

よくよく考えると、難しいものだなぁと思う。

 

未熟ものの私だけれど

今日も一人ひとりと向き合っていける私でいたいな、と思う。

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